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大正15 (1926)年

校長小柏丑二
部長 
監督 
 
   大正十五年
(前略)
 この年、野球部は、これまでの本校球史にない活躍振りを示した。慶応大学倉橋選手を九月に招聘して練習を重ねたが、九月十六日の県下野球大会予戦第一戦に渋川中学と対戦した。球場は渋中校庭。
 午後一時から渋中先攻のもとに試合開始、安打数、沼中、一三に対して渋中七。得点八対七ではじめて沼中は、正式戦に他校を破ったのである。
 「かくて帰沼した一同は灯ともる沼田の町中を『戦勝てり』を歌いつつ学校に引き上げた。ああこの日を以て沼中野球部の名は初めて新聞紙上に上せられ世人をして知らしめたのである。紙上に曰く、『渋中惜敗』と、何ぞ痛快なる。」と当時の部員は歓喜した。
 第二戦は館林中学校と対戦することになったが相手校が棄権し、不戦勝。次いで準決勝に進出して高崎中学と対戦することとなった。準決勝進出はこれまでの沼中野球部から考えるとまさに破格のことである。九月二十日には、勢多農林高校と準決勝にそなえて練習試合を行なったが、二〇A対一七で勝利をおさめた。
 野球部の奮起に、同窓の先輩、角田茂雄氏(三回卒)らが沼中野球部後援会を組織して、一〇円、五円と拠出して、計一二六円が寄付されたが、二度の遠征に残額僅少となり、準決勝戦には出場を見合わせた。
(「沼高七〇年史」 p.350〜p.351より)
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