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昭和38 (1953) 年/昭和39 (1954) 年

 
          白球の青春
昭四十、高十七回卒 深代芳史   

 昭和三十八年*二年生七人一年生二人の新チームが編成された。秋の大会では、沼高は暴れに暴れて、西毛リーグの優勝旗を持ち帰った。この時が私の高校三年間で一番力のあった時だと思う。身体の調子も抜群だった。この夏栃木代表作新学院が甲子園で、史上初の春夏連続優勝した。
 昭和三十九年**、さあ最上級生だ。名実共に沼高のエースたるべく頑張るぞ! 希望に燃えてシーズンを迎えた。この年沼高は桐生に始まり桐生に終った。そして桐生高校のカべは遂に破れなかった。
 春の大会での四連投、前年の甲子園出場校栃木足利工業戦での大勝。私自身も、技術的というより、精神面で安定した。春の大会は準決勝で桐生に負けた。初めての桐生戦で私は一年生のようにコチコチになった。桐生の高橋投手に手も足も出ず完敗した。だが、これ以来沼高は快進撃し、新聞も桐生と並んで優勝候補の最右翼との賛辞を与えた。実はこの時私の身辺に大事件が持上っていた。プロ野球からの勧誘であった。私も夢であるプロ野球からの使者を見たり、内容を知ると身体中の血が燃え上る様だった。でもアマチュア野球の協約の中に、シーズン中プロ野球と関係してはいけない事になっている。誰にも知らせず、私だけの秘密にして練習に励んだ。
 いよいよ最後の大会が始った。Aゾーンで私達の目指すは桐生、あとは眼中になかった。予想通り桐生は圧倒的な強さで決勝に進んだ。沼高も二回戦で高商に苦戦したが順当に勝残り、決勝に進んだ。春の雪辱を期して、試合に臨んだ。しかし桐生のカベは厚かった。打砕くにはあまりにも厚かった。一方的に打込まれ、ワンサイドゲームで桐生の軍門に下った。全てが終った。安堵感で、ぐったり疲れた。でも悔はなかった。力一杯やったという満足感があった。
 夏の大会が終ると身近に、少年の私には大き過ぎる色々な問題が起った。プロ野球の事だった。この問題は、私の頭では裁ききれない程私を夢中にし、両親に有無を言わせず、その気になった。前に私は沼高に入った為に私の運命が変ったと言った。それは沼高に入ったお陰で私の存在が目出ち、スカウトの目にとまったのだと思う。
(阪急プレーブス選手)   

(「沼高七〇年史」 第4部 沼田高校の時代 第2章 生徒会誕生期とその後のクラブ活動  p.741より)
* **「沼高七〇年史」ではそれぞれ「二十八年」「二十九年」となっているが明らかな誤植なので、ここでは修正をした。


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